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2年目研修医 大前先生へのインタビュー

本日は当院で初期研修を2年間研修された大前先生にお越しいただきました。


——大前先生、先生が当院での初期研修を選んだ理由は何ですか。

もともと京都で研修をしてみたいという気持ちがあって、京都府内で研修病院を転々と見学していたところ、当院を見学した際に研修医の先生方が積極的で仲良くされていたのが一番最初のきっかけでした。 研修医の間は内科をしっかりしたいと思っていたので、総合診療科と内科があった当院は非常にあっているなと思いました。

また、脳外科を学生時代から志しており、市中病院にもかかわらず脳外科の専門医が5~6人いらっしゃる病院ということで当院を選びました。

——先生はなぜ脳外科を目指しているのですか。

きっかけは学生実習の時に、脳外科の先生によくしていただいたことがきっかけでした。やっぱり手術をしたいと思っていたし、また、脳外科は仕事が好きな人が多く集まっている診療科でしんどいながらも楽しくしているところが魅力的だと思いました。

——ところで大前先生は当院には何回、見学に来られたのですか。

もともと当院を見学した知人に当院がとてもよかったと聞いていたので、5年の冬に一度見学に来て、再度5年の春休みの春季病院見学説明会に見学にきました。いろんな地域から学生が集まっているのには驚きましたし、面接に来られるような先生とも直接話ができてよかったと思いました。その後、普通の見学は1回で、夏の夏季病院見学説明会に参加しました。

——2年間の当院での臨床研修の経験の中で、今後の専門領域はどのように決めました?

研修を始めたときは、脳外科などの外科系で悩んでいましたが、当院での研修を通して、身近にかかわることが多かった内科系、特に循環器内科に興味を持つようになりました。1年次の間は、脳外科をローテートすることができなかった分、この診療科と決めずにローテートするすべての診療科でしっかり学ぶことに努めていました。

2年目の6月に脳神経外科を回り、7月に循環器の中でも不整脈に興味があったので不整脈科にローテートしましたが、8~9月はずっといずれにするか悩んでいました。

最終的に脳神経外科に決めたのは、やっぱり手術をしたいという気持ちがシンプルに強かったからだと思います。また、脳神経外科は血管内治療がも盛んに行われるようになってきたのも一因でした。

——脳外科のローテーション中にはどのようなことを経験したのですか?

2回回ったのですが、6月にはまだ専攻を決めていない時期だったので、とにかく手術に入るようにしていました。4週間でほぼ毎日の合計20例位の第2助手として手術に入らせてもらえました。簡易用の手術用顕微鏡とかも扱わせてもらって、血管吻合などのシミュレーター実習をさせてもらうことができました。

2回目に1月に回った時には、脳神経外科と決めていたので、周術期管理や夜間の緊急手術にも積極的に参加し、またカンファレンスでも発表をさせてもらいました。

緊急手術は、週に3回くらいSAHが来たことがあったので、3週間で緊急手術を4回経験しました。

当院の脳外科は脊椎の手術をやっているので、当院ではかなりの症例をやっているので、専門医登録のための症例数にカウントはできないのですが、すごく大きな経験になったと思います。

——先生が迷っていた不整脈科はどうでしたか?

先生方が皆さん優しくて、僕がローテートした年から当院研修医OBの若手の先生が不整脈科や循環器のことにとどまらず、内科的な管理一般について丁寧に教えていただけました。不整脈のアブレーションについても、最初にシース入れたりなどの処置や介助は若手の先生と一緒にやらせてもらえましたし、若手の先生が主治医としてPM埋め込みやアブレーションもされている姿は、当院の魅力の一つだと思いました。

苦労話は、アブレーションは週2回でしたが、朝9時から開始して、1日3件で終わるのが23時とかの日もありました。

——研修中に思い出に残った症例はありますか。

1年次の夏に救急外来対応した高齢女性の症例ですが、ショック状態で運ばれ、最初は、敗血症性ショックを疑って加療しましたが、治療反応に乏しく来院後6時間という急速な経過をたどって死亡されました。死因について検討したところ、血培は陰性で敗血症性ショックの可能性は低いということが分かったのですが、原因はわかりませんでした。

死因について院内でも話題になったところ、総合診療科の土井先生にもしかして巨大な食道裂肛ヘルニアが原因で緊張性気胸のように心臓を外から圧迫して、閉塞性ショックを至った可能性があるのではないかと指摘されました。

そこで、大変興味をもって論文などを調べたところ大変珍しい病態の可能性が高いと思い、学会発表をしようと思い、2年目夏に京都医学界に発表をしました。また泌尿器科の山田副院長からも研修医の間に論文を書くように言われていたので、この症例をチャンスと考えて土井先生にお願いして指導していただきながら論文にしようと思いました。

10月頃から書き始めて、12月頃にはいったん完成させて京都医学会に投稿し、修正を2回して2月の終わりに最終校正が終了しました。執筆作業は予想以上に難しく、英語も含めて論文を読まないとかけないということを改めて感じました。再度英語の重要性を感じました。経験してとてもよかったと思います。

——普段の研修中は、どのような生活でしたか。

あまり忙しくない糖尿病科や脳神経内科、耳鼻科では朝8時過ぎくらいに出勤して、17時半には仕事が終わっていました。仕事が終わった後は居残りをして勉強したり、同期と飲みに行ったりしていました。

——脳外科はどうでしたか。

6月は同じくらいでほぼ予定手術しかなく、17時半には終わるような感じでしたが、たまに緊急手術に呼ばれることがありました。1月の時は、緊急手術が多かったので、内科当直を挟んで2日ほど帰れないことがありました。

——普段の睡眠時間はどのくらいでしたか。

6時間でした。

——手技はどの程度できましたか?

CVは2年間で30例くらい、ルンバールは2年間で10例、胸腔ドレーン挿入は2年間で4例程度です。

——全身管理はどの程度できるようになったと思いますか。

夜間に来た内科救急の患者で敗血症性ショックや電解質異常など内科的対応だけでしたら、循環動態を安定させて命をつなぐことができるように思います。 外科的技能については、どの程度自信がつきました。 自信はないですが、なんとかなるだろうと思うくらいの経験はできました。

——研修について、2年間を振り返ってどうでしたか。

先輩方と同じようにいい同期や後輩に恵まれていました。積極的にしたいことを言えばやらせてもらえましたし、当直もしたいと言えばどんどんやらせてもらえました。外科にしろマイナー科にしろ全身管理は必要ですので、内科は重要でしっかり学ぶことができたと思います。

——これから病院見学・就職活動を考えている学生さんらに、研修病院選びのポイントについて何かアドバイスはありますか。

まず、研修病院の数が多すぎるので、場所をまず決めることだと思います。そのうえで、いろんな科がそろっているところで、病床数を同期の数で割って数が多いところで、自分が将来考えている専攻科があるところが良いと思います。

一個上の先生方の雰囲気が同期の雰囲気と似ていると思うので、一個上の先生の雰囲気がいいところがいい病院だと思います。当院は、ちょっと上の学年の先生によく教えてもらえる環境があり、また、後輩にも伝えるセミナーや勉強会が多く、自分の中でも復習できたことが良かったと思います。

——京都はなぜ?

テレビを見ているとご飯屋さんが多いところで、京都と横浜で迷いましたが、横浜は遠いのでやめて、京都にしました。

——本日は大変有難うございました。先生の今後のご活躍を心より期待しておりますね。

お困りごとはありませんか?