武田病院グループ副理事長 武田道子
【エッセー】
武田病院グループ 副理事長
康生会武田病院 名誉院長
社会福祉法人 青谷福祉会 理事長
武田 道子
■お宿〝オチコチ〞
京都からわずか2時間足らずで福山へ到着、更にタクシーで30分くらいで目的地〝鞆の浦〞に着きました。新幹線は便利なもの。ちょっと車窓を眺めている間に着いてしまいました。今日のお宿は〝オチコチ〞、入口は雑草の茂ったお庭。奥へ進みますと扉が開き、フロントが現われます。表の路はタクシーも入らないようなところで、まさにかくれ家と云ったところでしょうか。
目の前は海。ひたひたと打ち寄せる波の音のみが聞こえて来ます。何か昔のいわれのありそうな風景です。向いの島へ通う船がやってまいりました。静けさを破って、ぽんぽんと云う船の音が響いてまいります。それは眞黒の海賊船のようないでたちです。向いの島は無人島。夜間はかえって来るとのことですが、何かあるのでしょう。大勢の人が渡って行きます。ホテルがあり、神社もあるようです。夕暮れの船に乗りおくれないように帰って来ます。夜になると鳥居が赤くライトアップされて居ります。ここ〝鞆の浦〞には、いろいろ歴史があったところと聞いて居ります。しかし今は静かな海、〝カモメ〞がとびかって居ります。日が暮れると眞暗な海、時々〝ギャー〞と云う叫び声が響きます。おやすみ中の〝カモメ〞の声でしょうか。ここの〝カモメ〞はちょっとメタボさん。さぞ沢山のお魚を食べているのでしょう。百万ドルの夜景とは行きませんが、四国の灯が波間にゆれ輝いて居ります。ひたひたと打ち寄せてはかえす波の音に、夜はふけて行きました。
温泉に入って流れる汗を拭きながら床に着きました。やがてまだあたりは眞暗な海にポンポンと云うエンジンの音が響いて来ました。朝一番の通い船のようです。正面から眺めますと、軍艦のような黒い船です。かつて昔はこのあたりに沢山の船が出没していたのでしょう。ぼんやりと温泉につかり、日々の忙しさを忘れ、いつ迄もこのようにして居たいと思う、癒しのひと時でした。
〝鞆の浦〞と云えば潮待ちの港として栄えたところ、船が風と潮の流れを利用していた時代、潮の満ち引きを待つ船がここに集っていたところとか。たったそれだけのことで、長い歴史の中で〝鞆の浦〞に重要な役目を担わせ、2000年に渡って〝鞆の浦〞を繁栄させたところ、軍事的にも重要な場所になったとのこと。戦乱にも巻き込まれ、数多くの英雄伝と悲劇を生んで来たのだろうと云うことで、昔のことを想像しながら静かな海を眺めてまいりました。長い戦乱も終り、太平の世が訪れると〝鞆の浦〞は交易都市として栄え、文化都市として花開き、大いににぎわったと伺って居りますが、今は昔の歴史をかたるようなものも見当たらず、静かな海に波の音が聞こえて来るのみです。日常の常識を捨て、幼夢の時を楽しんだひと時でした。
このままぼんやりと温泉につかって居たいようなひと時でしたが、時間は刻々と過ぎ、チェックアウトの時間となりました。お宿を後に福山駅へともどってまいりました。〝オチコチ〞とは〝遠音近音〞と書きますが、これは〝鞆の浦〞のひたひたと寄せる波の音を表わしているのでしょうか。
やがて、いつも新幹線の中から見て居りました、福山城のところへまいりました。大きな天守閣が2つあり、城壁の上から満開の桜が見えかくれいたして居ります。城壁には沢山の穴があいて居り、鉄砲をうったところ、じっと眺めて居りますと、銃が出て来るような錯覚を覚えました。昔の人はどのようにして、この大きな石を運んで来たのでしょうか。石垣も弓状になって居り、敵が登れないように工夫されて居ります。昔の人の智慧はたいしたものだと感心いたしました。わずか一夜の旅でしたが、十分癒されたひと時でした。
〝遠音近音〞オチコチという名前に、鞆の浦の静かな風景がまるで走馬灯のように浮んでまいります。
ちょっとメタボのカモメさん、お元気でネ。
Copyright © 2014 Takeda Hospital Group. All rights reserved.