武田病院グループ副理事長 武田道子
武田病院グループ 副理事長
康生会武田病院 名誉院長
社会福祉法人 青谷福祉会 理事長
武田 道子
■草の根をわけて歩んで来た半世紀
大学を卒業し、京大小児科へ入局後、京都市衛生局に勤めて居りました。しかし、年子が生まれ、公務員は難しくなりました。そこで全く知らないここ下京の地に、民家の二階を借りて夜間診療を始めました。今思うと随分大胆なことをしたものと思いますが、運よく地元の皆さんに支えられ、今日の基礎となりました。当時、資金もなく京大に出入りしていた薬局の方が保証人になって、50万円の借金で聴診器一本の開業でした。
間もなく私は一日開業が出来るくらいの患者さんが来て下さるようになり、一日開業をはじめました。当時、借金の返済に対して血液透析をはじめました。透析は一日いくらと金額が決まって居りましたので、返済に充てることが出来ました。間もなく50床の病院をはじめまして、主人も大学を辞めて病院経営をはじめました。ここで京都で第一号のICUを開設。その後、約5年毎に次々と病院をオープンし、今日のような大きな組織、武田病院グループとなりました。
ICUの第一号の後は、京都府第一号で老人保健施設〝白寿〞を開設致しました。この施設は京都で一番小さい30床の老健になります。閉じて大きくしたいと思いましたが、これも京都府第一号なので、残して欲しいと云われ、今も小さいままです。
先ず私は、産休は産前産後10日位。今の職員には考えられないことです。今や労働基準法で、産前産後、育児休暇となると1年を越えます。一日開業の際も産後2週間で開業いたしました。さすがに支払い基金と云って保険請求の書類を提出するお役所が、ゆっくり請求して下さってよろしいですよと云って下さいました。当時、血液透析は1日10時間、昼の部は朝から夕方迄、夜の部は夕方から翌朝迄と、スタッフは交代とは云え休みなく徹夜で仕事をしてまいりました。唯一、日曜だけがお休みでした。透析終了の朝6時には私も出て来て居りました。このように必死で働いたおかげで今日があると思って居ります。今は連日勤務などは認められませんし、働く人も無いでしょう。
今思えば、このようにして働いて来たことがなつかしく思い出されます。子育てで一番困ったことは、〝乳児、幼児を預かってくれる所さがし〞でしたので、私の経験を生かして、院内に24時間保育所を設置しました。お母さんは朝出勤して来て預ければ、夜迄預かります。幼稚園の年齢になれば、近くの幼稚園へ送迎つきで通わせます。乳児は離乳食も用意して、上手に離乳させてくれます。職員は勤務の方が楽だと云って居ります。休日ですと、離乳食を与えたり家事のすべてを行わねばならないからです。
職員が1200~1300人位の時迄は、秋に一泊旅行に行って居りました。それでも人数が多かったので選択コースを設けて居りましたが、私は両方へ参加して居りました。現在は大勢でもう職員旅行は出来ません。また年末には3回に分けて忘年会を行って居ります。全職員とまではいきませんが、毎回約2/3の参加で行って居ります。3回合わせますと、約2000人位の参加になります。
福利厚生としては、先程述べました24時間保育所をそれぞれの病院に設け、寮も沢山用意して居ります。特に土地の広い宇治武田病院では、115室のマンション、一部ドクターなどの為にはメゾネットもあります。又、敷地内には特養と配食センターを設け、こちらではチルドの状態ですべての施設、病院へ配送。その数は7000食を超えて居ります。この中には普通食、病人食、老人用のキザミ食など、すべてをまかなって居ります。この配食センターもグループ企業の一つです。又、病院内にはコンビニやベーカリーも開設して居り、近隣の方も買いに来て居られます。このような事業はすべて別会社組織となって居ります。
経営理念は〝思いやりの心 ブリッジ・ザ・ギャップス、職員間にも患者さんにも橋をかけよう 信頼の架け橋を 地域社会との間にも〞と云うものです。特にこの業界では、〝人の手のぬくもりを〞と云ってまいりました。最後はやはり人間味のある思いやりの心に行きつきます。医は仁術、医は算術、医はサービス業の時代です。現在の医療界はサービス業に属します。それぞれの病院は、これだけはどこにも負けないと云う特徴をもってアドバルーンをかかげて居り、シャトルバスでどこへも行けるようになって居ります。
〝お客様は神様です〞と云う言葉が御座居ましたが、医療、介護の世界にも云えることなのです。一時〝患者様〞と呼んだ時期もありました。この業界の顧客と申しますと、御自分の足で来て下さる患者さん、消防署、これは救急車で来られる方です。更に地元の開業医さん(紹介状を持って来て下さる方)の3つです。自院が最も自信のある科をPRすることも必要です。
一方で急性期から慢性期、御家庭に軸足を移したデイサービスと、皆さんに満足して頂ける病院施設でなければなりません。よい評判はなかなか時間がかかりますが、悪い評判は1日にして拡がります。職員1人の言葉でも不安になってしまわれることもあり、リーダーと職員は同じ目的をもって居なければなりません。特に一番大勢の職種、ナースに関しましては、常に研鑽を積み重ね、レベルアップをはかることが病院の格をあげることになります。
さて、人間は何も病気がなければ120歳迄生きられると云われて居ります。脂肪幹細胞、臓器移植、山中教授のiPS細胞と、今後医療に取り入れられる日も近い現在です。世界一長寿国(86.83歳 80.50歳)ではありますが、健康寿命(71.11歳 75.56歳)を延ばさねば、寝たきりの人生ではつまりません。病気と共生して、お薬を飲みながら自分の体を自由に動かせる生活を送らねば、バラ色の人生とは云えません。その為には病気の予防に努め、健康診断で病気の早期発見、早期治療につとめることです。日帰り手術も早期なら出来る時代になりました。100歳のハードルは、間もなく越えられる日がやってまいります。食生活、生活習慣を改めればそれは可能です。健康な人生を送るには、〝3つのかく〞を、ちょっと頭の隅に入れておいてください。
1)汗をかく
2)ものをかく
3)恥をかく
私は入社式の一番に申し上げて居ります言葉は〝あいさつ〞です。気持ち良くあいさつをすれば、コミュニケーションのはじまりとなります。二番目には時間には正確に、三番目には学ぶことと申して居ります。50年半世紀は〝あっ〞と云う間でした。これから先はもうわずか、一度立止まり、振り返ってみる時期かと存じます。今、昔お母さんに手をひかれて来たこどもさんが成人して、再び御自分のこどもさんを連れて来られ、〝先生、僕を覚えていますか?〞と云って下さる事がありますと、医者冥利につきる日々で御座居ます。
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