武田病院グループ副理事長 武田道子
【エッセー】
武田病院グループ 副理事長
康生会武田病院 名誉院長
社会福祉法人 青谷福祉会 理事長
武田 道子
■初夏の瀬戸内を行く
久しぶりの瀬戸内の旅。毎年お墓参りに帰るのですが、この度はもう3年もお参りして居りません。
帰省時には道後温泉に宿をとるのが何よりの楽しみです。もう家族も居なくなりましたので、自然と足が遠のきます。天気予報は大雨、雷注意報が出て居りましたが、そんなことは、かまって居られません。この日に行くと決めたら実行するしか御座いません。ところが、その日は大はずれ。太陽がさんさんと降り注ぎお暑いこと、この上なし。やはり私は晴れ女かな!と思いました。
さて、新幹線で岡山へ、そして瀬戸大橋線で予讃線へと乗り次いでまいります。眼下に瀬戸の海を眺めながらコトコト、コトコトと心地よいリズムに揺られ、いつの間にか夢心地。車内には"瀬戸の花嫁"のメロディーが流れて居ります。四国へ入りますと電車は右に左にと、よく揺れ始めました。
"さぬき"から"いよ"へと、どんどん進んでまいります。しばらくは海岸線ぎりぎりのところを走りますので乗って居りますと、海の上を走っているような錯覚に落ち入ります。香川県はあっと云う間に過ぎ去り、なつかしい地名が出てまいりました。川之江、三島と続きます。三島は今、四国中央市と云う立派なお名前に変って居ります。大王製紙がありますので全国でも有数の製紙工業地帯、しかし昔のようなにおいはしなくなりました。菊間瓦で有名な菊間、こちらも瓦の屋根が少なくなりさびれて居ります。次いで今治市、タオルの街と云われてまいりましたが、今は中国製に押されて斜陽産業になりました。こちらからは尾道へと"しまなみハイウェイ"がかかり、その拠点の町として活気を帯びて居ります。
車窓の景色はどんどん流れ去り、目的地松山へと近づいてまいりました。四国では大都市のはずですが、やはりローカル線の駅と云う印象は昔と変りません。ただ表示板には、知らない名前が沢山あります。合併ブームの為でしょう。
JR西日本からJR四国へと次第にひなびてまいりました。格差社会日本でしょうか、駅に降り立ちますと、なつかしい"いよなまり"なんとなく"ほっ"といたします。今日の目的は先ずお墓参り、娘と二人で、とにかくお墓のはしごをいたしました。
"子規堂"にもお墓があり、お参りいたしました。子規の弟子、柳原極堂翁は私の父が辞世の句をもらって居り、最後の脉をとったお方です。"春風や舟いよに寄りて道後の湯"と云う名句があり、このあたりは昔、海であったようです。
肩の荷をおろしてようやく道後へ伺いました。
"ゆく年、来る年"の年末に必ず映される道後温泉本館は昔と変りなく、あの"坊ちゃん"の頃からの"のれん"が揺れて居ります。しかし新しいホテルが建ち、浴衣に下駄ばき、湯かごを持って外湯へ行くと云う情緒はありません。
昔なじみのお宿の玄関をくぐりますと"おかえりなさいませ"と出迎かえて下さり、"ほっ"といたしました。我家に帰って来たと云う気持、やわらかい言葉の響きに、すっかり心がなごみます。言葉と云うものは不思議な力、特に挨拶は大切です。近頃、挨拶の出来ない人も多くなりましたが、人づき合いの第一歩は、ここから始まります。そしてすばらしい出会いが生まれるのです。テレビで子守りをしてもらい指先一本でテレビゲームの中に生きる子供時代の生活が、思いやり、心くばりの言葉を忘れてしまったのでしょうか。
夜はふけ、天気予報どおりの雷鳴がとどろき、ザーと云う雨の音が聞えてまいりました。明日は雨だろうと思いながら眠りにつきました。
翌朝、明るい光に目ざめました。今日も晴天です。宿を出る時、"いってらっしゃいませ"の声に送られて再び同じコースを帰ってまいりました。
挨拶とちょっとした言葉遣いによって人の心はなごむもの。言葉の偉大な力を改めて感じました。
久々のほのぼのとした旅でした。
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