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たけだ通信 No.95 (8月発行)

武田病院グループ専務理事 武田隆司

Mother Earth

photo_senmu.jpg【エッセー】
武田病院グループ 専務理事
医療法人財団 康生会 理事長
 武田 隆司

■Mother Earth

ほんの十年ほど前までは公共スペースにおいて、我々非喫煙者は常に辛い思いをしていた。
しかし現在は立場が入れ替わり、喫煙する方々の方が肩身の狭い思いをする機会が多いようだ。
正直に言うとタバコを吸わない私にとっては嬉しい話なのだが、過剰に嫌煙権を主張する人が増えたのも少し品がないような気もする。

以前より、このコラムでも度々自然環境保護について取り上げてきたのだが、こちらも最近は一概に賛成することに疑問を感じ始めている。
もちろん自然環境保護活動は地球全体にとって大切なテーマであることは間違いないのだが、エコ活動が企業のプロパガンダになる時代に突入してからというもの、それが本当に環境に配慮しての活動なのか、若しくはそこに潜在する利を目ざとく嗅ぎつけての行動なのかが読み辛くなってきたのだ。

一例を挙げれば、原子力発電の安全性というのも常に疑問符がつくし、これをクリーンエネルギーの範疇に入れようとする国策に対しても素直に頷けない。
省資源国の生き残る道としてはやむを得ない選択なのかもしれないが...

もっと稚拙な代表例は、麻生内閣バラ撒き補正予算において散見される。

なんと補正予算で官公庁の車を最新のハイブリッドカーに買い替えてしまうという!
経団連との関係も気になって仕方ない話題だが、なぜ公的算出の削減が声高に提唱されているこの時期に、しゃあしゃあと自分達の車を最新型にしようという発送が生まれるのか?

その、一般には理解し難い施行回路は、以前このコラムに「不思議の国」と題して書いたことがある。
ここに一部を抜粋させていただく。

「端的に言うと公的機関と企業の基本的な違いは、支払いの受け方にある。予算から支払いを受けるという性質が、成果と業績の意味をガラリと変える。
企業は成果に対して支払いを受けており、陳腐化したものは顧客によって自然と葬られる。
予算型組織はそのようなテストを受けない。
従って残念なことだが予算型組織内における成果とは、より多くの予算獲得であり、業績とは予算を維持ないし増加させることを指すことになる。」

つまり「有能な公務員」が引っ張ってきた予算は、使命感を持って使い切らなければならない。
(時には金庫にプールしてまで!)
それこそが「業績」を維持ないし増加させる術だと信じられているのだ。

この使い道に比べると、エコポイントやエコカー購入補助などはまだ国民の誰にでも恩恵が享受される可能性があるだけマシだという気もする。

ただし、この政策の成果は大多数の家電や自動車が省エネ製品になった後に期待できるもののはずだ。
従って必要なのは長期的で断続的な取り組みであって、これが1年限りの思いつき政策ならば、現在使われている多くの製品は今後もそのまま使われ続けることとなるだろう。
その場合は、この1年だけで買い替えた家電や自動車を維持することによるCO2削減と、新たに製造する過程で発生するCO2の増加のバランスを考慮すると、大したCO2削減効果は期待できないように思う。

しかしそれにも増して最悪のバラ撒き予算は、公○党が打ち上げた「子宮頸がん・乳がん検診の無料クーポン券バラ撒き作戦」だ。
あまり興味のない人も多いようなのでご存じないかも知れないが、聞いて驚くなかれ!

子宮頸がんの検診対象者は昨年4月から1年の間に20、25、30、35、40歳になった女性。
乳がんは同期間に40、45、50、55、60歳になった女性のみだ。
40歳になった人は両方とも受診できてお得だが、あとの人はハズレだ。
なぜなら来年には組まれない、今年だけの予算なのだ。
(現・6月末時点)
何の継続性も計画性も有さない、票集め(になるのか?)の一年ポッキリ医療政策といったところだ。

...とまぁ話が脱線するのはいつものこと。

閑話休題。

CO2削減否定派の意見にも時折、「なるほどなぁ」と思える部分があったりもする。

例えば地球は温暖化しているという説が世界中のコンセンサスを得始めたばかりだが、話の腰を折るような説もある。

ここ半年程で、太陽の黒点が少なくなっているという報告が相次いでいる。

黒点周辺では「フレア」と呼ばれる大爆発が多く発生しており、黒点が多いほど太陽の活動が活発だとされている。
黒点は概ね11年周期で増減を繰り返し、これからは黒点の数が増える時期に当たるはずなのだが、それが遅れているとのことだ。

米航空宇宙局(NASA)やベルギーの「太陽黒点数データセンター」によると、現在の太陽活動は約100年に1度の低水準にあるのだという。
「太陽黒点数データセンター」の観測では、2008年に黒点が観測できなかった日数は266日であり、これは観測史上4番目に多い日数とのことだ。
過去において黒点が観測されなかった時期には寒冷期が訪れたという記録もあり、地球寒冷化を懸念する声さえあがっている。

この話題を聞いてどう考えるべきだろうか?

勘ぐれば、CO2削減活動により減益となる業種のバックアップによる巻き返しキャンペーンかもしれない。
事実、米国の自動車産業を中心とする経済界は前政権まで温暖化現象を徹底して否定していた。

自然とは、人間が考える以上に強いものだ。

先日ある会で、世界的な海洋冒険家・白石康次郎氏の講和を聞いた時に聞いた言葉が耳に残った。

「本当に地球が悲鳴をあげていますか?
地球が人間に助けて欲しいと言いましたか?

それは人間の奢りです。
困っているのは人間です。
悲鳴を上げているのは人間です。

例えこの世から人類が滅亡してお、何も変わらず大地には風が吹き、海はただ滔々と流れ続けるでしょう。」

命を懸けて世界を回り続ける白石さんにとって、自然から感じる印象は決して優しいなどではなく、むしろ厳しさと恐怖でしかないという。そのような人物の言葉なるが故に、そこに計り知れない重みを感じた。

このお話を聞いた時に、随分以前に読んだ「Future is wind」という本を思い出した。

その中では百万年から億年単位のスピードで地球環境予測が進む。
残念ながら人類は「アッ」という間に絶滅してしまうので話題にも上らない。
その前作で「After Man」で数行出てくる程度だ。
そして2億年後の地球で最高の知能を有する生物は...?
まぁ、興味があればお読み下さい。

何れにせよ、人間は自分達が思っているほど母なる地球をコントロールできる能力を有してはいない。

ただ、地球という家をほんの少しだけ間借りしている我々人類としては、借りた時のまま大家さんに綺麗にお返しできた方が上品で良いのではないかと個人的には思っている。

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