武田病院グループ専務理事 武田隆司
【エッセー】
武田病院グループ 専務理事
医療法人財団 康生会 理事長
武田 隆司
■Black Swan
今回、このコラムを書くことは自粛しようかとも考えた。
この大災害は未だ収束の目処も立っていないことに加えて、各人がそれぞれの想いを抱いているはずなので評論家然としたコラムは慎むべきだと感じたのだ。
しかし今、この震災に触れないというのもおかしな話だと思い、まずは書き始めてみることにした。
本当に被災地の皆様の忍耐強さや礼儀正しさには心から感動し、頭が下がる思いがした。
行き過ぎた市場原理主義の潮流に置いていかれないようにと焦ったせいで、少々狂っていた昨今の日本人だが、眠っていたDNAは非常時に覚醒した。そんな印象を受けた。
普段は希薄な人間関係と言われる日本の社会で、特に若い人々が本気で困っている人のために力になりたいと願っていることを痛いほど感じることができ、不謹慎ながら嬉しく思った。
昨年末、「伊達直人のランドセル事件」が騒がれた頃から少しこの兆候は感じていた。
主に政治の体たらくから、この国に希望が持てない人が大勢いる。
その一方で困っている人を助けたいという本能や渇望にも似た想いは日々募る。
この国に任せておけないから、自分の手で確実に届く支援がしたい。
そうした想いをあのランドセルに感じ、そして今回のボランティアに向かう人々にも感じた。
また、海外からも驚くほど沢山の励ましの声や寄付が集まったことで、日本が世界からいかに愛されているのかということを改めて知り、日本人であることを誇らしく思った。
私自身はと言えば、震災の報道を見続けてただただ心配し、祈るだけの数日間であったのに対して、奇行で有名なミュージシャンのレディ・ガガは震災翌日にwebで支援ブレスレットを販売し、その後2日間で25万ドルもの寄付を集めてくれたという話題もあった。
ミュージシャンと言えばロックのカリスマ、故・忌野清志郎が1988年に発表したアルバム「Covers」。当時この作品が世に出ることはなかった。
原発反対の強いメッセージが歌詞に込められていたからだ。
当時は清志郎がヤンチャという印象で纏められたこの話。
思えばそんな昔から厳重な箝口令が原発関連の話題には敷かれていたのだった。
今回の災害を大きく分けると「地震」「津波」による天災と、「原発事故による放射能汚染」「行政・東電の危機管理能力の稚拙さ」による人災に分けられる、という考えに異論を唱える人は殆どいないだろう。
先に述べた垣根を越えた温かいメッセージは天災に対してのものであり、人災に対しては世界からも非常に冷たい視線を浴びせられている。
政治に関しては百歩・千歩...万歩譲って、我々選挙で投票した側にも問題があるとしよう。(心底したくないけど...)
しかし原発事故はどうしても許せない。
当初は素人がこんなことを書いてはいけないと思っていたが、その考えこそが永きに渡り粛々と行われて来た国民洗脳であることがようやく理解できた。
何より玄人の広報が欺瞞の固まりだったことがはっきりしたのだから、素人が意見を述べてはイカンという理屈はもはや成立しない。
私が子供の頃、屋内でも夏は暑く冬は寒かった。
そうした環境は現在と比較すると少々不便であったかもしれないが、当時は当たり前のこととして受け入れることができる範疇のものであった。
田舎で過ごした大学時代もそれほど変わりはなかった。
夜間にはテレビも終了していたし、コンビニも閉店していた。
この国がおかしくなり始めたのは、いつの頃からだろう?
確か大学卒業の頃にはバブル景気を迎え、滅多に行く機会がなかった東京で夜の街へ繰り出すと、眩しいばかりの明るさに恐ろしいような、それでいて何か昂揚するような妙な気持ちを憶えたのを思い出す。
あの時点で日本人は電力浪費という麻薬に毒され始めていたのだろう。
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