武田病院グループ副理事長 武田道子
【エッセー】
武田病院グループ 副理事長
康生会武田病院 名誉院長
社会福祉法人 青谷福祉会 理事長
武田 道子
■町医者として半世紀
明けましておめでとう御座居ます。
昨日と全く変らない空気の中で、たった1本の菊の花と松をいけ込んだ部屋の空気は凜として、全く違うように感じられます。
世界では多くの国民が戦火にまき込まれて、必死に生きていることを思えば、私達は平和な新春を迎えることが出来て、幸せで御座居ます。
高齢化、少子化、共に世界一の我国です。
今年も医療、福祉はきびしいと思われますが、我国の医学の進歩はめざましく、臓器移植、再生医療、更に話題のiPS細胞へと夢はふくらんでまいります。果して、人間はいつ迄生きられるかと云う時代になりました。大きな病気がなければ120歳くらい迄生きられると云われて居りますが、今、最高齢の方は115歳の大阪の方で世界一でもあります。
私達は、はやくから病気の予防につとめ、健康診断を受け、病気の早期発見、早期治療を行えば、健康寿命を延ばして行ける時代になりました。このことをお手伝いするのが医療人の務めです。
昨年は、世界中、異常気象で大きな被害が出ましたが、人間が種をまいたと云われて居り、今年も続くのかと心配です。いくら科学が発達しても自然の猛威には勝てないのでしょうか。
さて、私は開業生活半世紀を過ぎました。
今、ここに立ち止まり、過ぎて来た年月を振り返りますと、いろいろなことが走馬灯のように頭の中をかけめぐります。
戦後と申しましても大東亜戦争のことですが、今と異なり医学部へは直接入学出来ませんでした。先ず、理系の大学で必須科目を修得してから、再び医学部の試験を受けた時代でした。研修は1年でしたが無給で、今のように生活の保障はありませんでした。
幸い、私は3月生まれでストレートに卒業いたしましたので、最も若くて医師になることが出来ました。4年余り公務員を務めましたが、はやくに開業いたしました。縁もゆかりもないこの下京の地に、わずか50万円の借金で聴診器1本の開業でした。
今日のように専門科の数も多くなく、内科、小児科なんでも診ると云った雑貨商のような日々でした。
草の根をわけてと云った開業に多くの人々が来院して下さり、支援して下さったおかげで今日があります。運もよかったと思います。
今では、その頃のお母さんは高齢となり、介護の方で御利用してくださって居り、手をひいてつれて来られていた子どもさんは、親となって再び子どもをつれて来られます。まさに、医者冥利につきるとはこのことだと思って居ります。ゆりかごから墓場迄のお世話を出来る幸せをうれしく、誇りに思います。
細かく分科した医師の世界ですが、高齢化の進む中、今また総合診療科、家庭医の必要性が求められて居ります。政府の方針として病院施設から家庭に帰るようにと指導するようになりましたので、家庭で診て下さる医師が必要となりました。私は今、これらの方々の御世話をする責務があると思って居ります。過ぎて来た50余年は今、振り返ればアッと云う間ですが、これからの5年と云えども大変な道のりだと思って居ります。
人生80年、今は100歳のハードルも越えようかと云う時代になりました。機械でも80年使えるものは無いでしょうに、人間はすばらしいものだと思います。高齢化社会になりますと、必然的に介護と云う問題が起ってまいります。介護ロボットも登場する時代ですが、やはり、医学がどんなに進歩しようとも最後は人の手のぬくもり無しには人生は終らないと思います。今後とも地域の先生に信頼され、地域の皆さんに選ばれる病院施設を目ざして、プラス思考で歩んでまいりたいと思います。
私共の施設を御利用されているお年寄りは1800人にも達して居り、100歳以上の方が30人居られます。人生の終りに、皆様が生きて来てよかったと思って下さるようにお世話をさせていただきたいと思って居ります。長寿の秘決は生涯現役だと云われて居ります。先日、102歳現役の日野原重明
先生のお話を聞きました。壇上を右へ左へと歩いてのお話に、動くことが一番の健康法だとおっしゃいました。
私にはとても無理だと思いますが、少しでもあやかることが出来ましたら幸せに存じます。今年も皆様の上に幸せの光が降りそそぎますようにお祈り申し上げます。
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